目黒区で起きた船戸結愛ちゃん(5歳)の虐待死事件。
結愛ちゃんが残したノートの内容があまりにも悲しく、幼い子供になぜこんなひどい仕打ちができるのか、なぜ誰もこの子を救うことができなかったのか、など 議論が巻き起こっています。

わたしも報道されたノートの内容を読んで胸が苦しくなりました。

報道や個人のブログ、Twitterの意見などを見ていろいろと考えさせられたので、自分が思ったことを書いてみたいと思います。
うまくまとまらないけど、とりあえず思いを吐き出します。

 

厳罰化を求める声

 

この事件では、保護責任者遺棄致死の疑いで両親が逮捕されていますが、これに対して厳罰化を求める声が上がっています。

刑がなまぬるい。これは立派な殺人だから殺人罪だ
この父親(母親の再婚相手)を結愛ちゃんと同じ目にあわせてやればいい
保身のために子供を守らず見て見ぬ振りした母親は死刑に値する・・・

 

保護責任者遺棄致死罪による懲役は3年以上20年以下で殺人罪より短いそうです。

 

やったことに対して刑が軽すぎてバランスがとれていないとか、こんなひどい親は許せないという意見には同意します。

親を頼って生きていくしかない幼い子供が、親に世話をしてもらえず暴力を振るわれて亡くなったということを考えると、わたしも軽い刑では納得行かないという気持ちはあります。

 

でも、厳罰化だけで何かが変わるとは思えないのです。

 

 

自分も一歩間違えたら…という恐怖

 

こういう虐待の報道を目にするたびに思うのは、虐待というのは遠い世界の一部のとんでもない極悪非道な親がやることではなくて、自分の身近に起こり得るのだということ。

自分だって一歩間違えれば子供を虐待してニュースになっていたかもしれない。
今後も絶対に虐待しないなんて言い切れないということ。

 

もちろん、子供はかわいくてたまらないし、すごく大切です。
何なら自分の命よりも大切なくらい。

虐待の報道を見て、「ひどい、かわいそう」「わたしは絶対に子供をあんな目にあわせない」「愛情を注いで育てるんだ」という気持ちになります。

 

でもその一方で、虐待してしまった親の気持ちも少し理解できてしまうんです。

 

実際に子供を死なせるほどの虐待をする人はそういないでしょう。

でも、イライラして子供にあたってしまった、感情的になって子供を怒鳴りつけた、叩いてしまった…

子育てをしている人なら、 程度の差はあるにせよ、そういう経験がある人は多いと思います。

 

感情的になってしまった後、すごく後悔して苦しくなって、でも子供と長い時間接しているとまたイライラする場面や感情的になることがあって、このままではいけないともがき苦しんで・・・

ここで周囲の人に助けられたり、自分で工夫して気持ちを切り替えたり、子育て本を読んでイライラしない方法を探して試してみることで、気持ちがラクになることもあります。

 

でも、助けてくれる人もいなくて、気持ちを切り替えることもできず、どんどん追い詰められていったら・・・

そんな日常の先に虐待死があるんだろうな、ということが想像できてしまうんです。
そして、自分も一歩間違えれば・・・とゾッとする。

 

きっと今回の結愛ちゃんの虐待死事件の報道から、こんなことを感じた人も多いと思います。

 

 

親を責めるだけでなく社会で支える仕組みがほしい

 

そして、その正直な気持ちをTwitterでつぶやいてる人もいて、わたしはその意見にすごく共感できました。

・子供と密室で真剣に向き合うほど虐待リスクは高くなる
・他人事ではない
・特に発達障害など難しい子育てはいつも虐待と隣り合わせ

 

虐待を肯定するわけではなく、もちろんあってはならないこと、とした上で、「防ぐためには親を責めるだけではなく、社会で支える仕組みが必要なのではないか」という意見でした。

 

そう、親だって生身の人間。
いかなるときも心穏やかに完璧な対応ができるわけじゃない。

 

健康面も経済面も人間関係もすべて満たされた状態で、手のかからない育てやすい子を育てるのなら心穏やかに子育てできるでしょう。

でも、現実には夫婦仲が悪かったり、お金がない、仕事がうまくいかない、などさまざまなストレスを抱えて心に余裕がない状態で子育てをしなければならないこともあります。

子供の性格や特性によっても、子育ての困難さは変わってきます。

 

今回の結愛ちゃんの事件がそうだったのかどうかは知らないけれど、「虐待死」という痛ましい事件を防ぐためにはどうすればいいのだろう・・・ということを多くの人がそれぞれに考えて、自分だってもしかしたら虐待する親になっていたかもしれないという経験から「社会で支える仕組みが必要では」という意見でした。

 

そのとおりだと思います。

もちろんそれだけではなく、現に暴力を受けている子やネグレクトされている子をすばやく保護する仕組みも強化しなければなりません。
それと同時に、困難な状況で子育てをしている親への社会的な支援は、「虐待予備軍」を減らすことになり、多くの子供が救われるはず。

そう思いました。

 

 

虐待親を正当化する偽善発言?

 

ところが、この意見に対して

「偽善の発言は慎むべき」
「だったらみんな虐待するのか。それなら子供を作るな」
「屁理屈こねて虐待親を正当化するのは死んだ子への冒涜」
「この理屈が虐待を根絶させない根源だ」
「刑が軽すぎるから虐待が止まないのだ」

などの反論があり、すごく驚くとともに言い表しようのない悲しい気持ちになりました。

 

今回の事件をきっかけに、みな憤り、悲しみ、どうやったらこんな事件が二度と起こらないようにできるだろうかとそれぞれに考えているはずです。

さきほどの意見はそもそも虐待親を正当化して減刑せよなんて言ってるわけじゃないし、今回のケースがどうこうという話でもなく、今回の事件を教訓にしてもっと社会全体で真剣に虐待防止に取り組もうよという提案に対してこの反論。

 

虐待してしまうのではないかと自分で自分が恐くなるくらい子育てがつらいときがある、という正直な心情の吐露に対して、「虐待親の正当化」とか「それなら子供を作るな」なんて言われるのだとしたら、つらくてもつらいと言えない。

社会に助けてもらいたいなんて思っちゃいけないんだな、と諦めて自分ですべて抱え込んでしまうことになります。
そしてこういう諦めは、親を追い詰めて孤立させて、密室での育児に追い込んでいくことにつながります。

先ほども書きましたが、孤立した状態でおこなう密室での育児は非常に虐待のリスクが高いのです。

 

助けてほしいなんて甘いこと言うな!とにかく親が悪いんだ!という意見は、間接的に虐待に加担しているとさえ言えるのではないかと感じてしまいます。

 

 

わたしは孤立した状態で育児をするのは、自分にとっても子供にとっても絶対によくないと考えています。

だから0歳から保育園に預けることも抵抗ないし、むしろ保育士さんから色々教えてもらえるし、精神的な支えにもなってくれるから保育園義務化でもいいくらいだと思っています。

 

離婚前提に別居している夫にも子供をよく預けます。

自分から離婚したいと言って家を出て行った手前、夫に頼るなんて・・・と意地を張りたい気持ちもゼロではなかったけれど、子供たちにとって父親であることには変わりがないわけだし、夫が週末に子供たちを預かってくれるおかげで自分の時間が持てて心にゆとりができ、子供たちにもやさしく接することができます。

 

「赤ちゃんはお母さんと一緒にいるのが一番なのに保育園に預けるなんてかわいそう」なんていう人もいますが、もしそんな世間の声を真に受けて毎日長時間子供とべったり一緒にいたら・・・

夫がもし「自分から出て行ったくせに都合のいいときだけ利用するな!一人で育てる覚悟もなく出て行ったのか」なんていう人だったら・・・

わたしも孤立して密室で育児をしていたかもしれません。
そして、自分ががんばるしかないんだ、一人でなんとかするしかないんだと追い込まれ、誰にも助けてと言えないまま子供を虐待するような親になっていたかもしれない。

 

 

 

厳罰化すれば虐待がなくなるのか

 

この反論してきた人の意見に限らず、とにかく虐待する親(だけ)が悪いのであって、虐待した親に対する刑を重くするべきだ!刑が軽すぎるから虐待が止まないのだ!と考えている人が結構多いようです。

 

でも、どうなんでしょう?

子供を虐待して死なせてしまう親って、刑が軽いから死なせても大丈夫だとか、刑が重いから虐待して死なせないようにしようとか、そんなこと思ってるんですかね・・・。

 

もしそんな風に考えて虐待してる親がいるんだったら、刑を重くすればその人たちを止めることはできるかもしれませんね。

 

で、それで問題は解決するのでしょうか。

 

 

多くの親は、「刑が軽いから虐待してもいいや」なんて思ってるわけではなく、困難な状況で追い詰められて子供に当たってしまったり、感情的になって暴言や暴力をふるってしまった・・・というケースではないかと思うんです。

あとは、「親としてこうでなければならない」という思い込みだったり。
厳しいしつけ(わたしは躾だとは思いませんが)がエスカレートして虐待になるケースも多いように感じます。

 

もちろん、感情的になってしまった後は後悔するだろうけど、たびたびそんなことがあるうちに、暴言や暴力に対する感覚がにぶくなるというか、ストッパーがはずれて死に至らしめてしまった・・・ということではないかと。

あるいは、追い詰められた中で張りつめていた糸がぷつんと切れて、もう何もかもどうでもよくなって子供を放置してしまった、とか。

 

その結果に重い刑を課すことよりも、エスカレートしてきた時点ですばやく子供を保護してあげてほしいし、もっと言えば、親が追い詰められた状況にならないようにすることの方が、結果的に多くの子供が虐待から救われると思うんです。

 

 

「厳罰化だけでは虐待を防げない」という主張は虐待親をかばっている!?

 

「厳罰化すれば虐待がなくなる」
「子育て中の親に対する社会の支援など必要ない」 と思っている人。

 

今回の事件を起こした夫婦を極刑にすればそれで満足ですか?

ニュースにならないだけで、今この時も親に虐待されて苦しんでいる子供がたくさんいるだろうと思いますが、そういう子供たちは助けてあげなくていいのですか?

自分も一歩間違えれば子供を虐待してしまうかもしれない…と追い詰められている親はそのまま放置して、実際に虐待して子供を死なせたときに極刑にすればいいということですか?

 

 

「親として愛情があれば一線は超えないはず。一線を超えたら罪になるのだ」という意見も見かけましたが、

「一線」とは・・・?

死なせること?
暴力を振るうこと?
言葉の暴力は?
精神的な虐待は?

 

「○○罪」という罪に該当すれば罪として罰せられるべきというのは当然ですが、「○○罪」に当てはまらない程度のことなら子供に何をしても問題ないということでしょうか。

あるいは、何もかも細かく厳罰化して「子供を怒鳴ったら懲役1年」みたいなイメージなのでしょうか。

 

わたしは「親としての愛情」くらい持ち合わせているつもりですが、時にはイライラして子供を怒鳴ってしまうこともあります。
後になって、怒鳴らなくても他に方法があったなと反省しますが、これで罰せられるのなら、怒鳴ったことが周囲にばれないように必死で隠すという方向に考えてしまうと思います。

 

「厳罰化だけでは虐待を防げない」という主張は、決して虐待する親をかばっているわけではないのです。

 

犯してしまった罪を償うのは当然として、そもそも罪を犯さなくても済むように(=子供が虐待されなくても済むように)、もっと根本の部分からできることがあるはず。
ニュースになるような虐待は氷山の一角で、その下には程度の差こそあれたくさんの虐待されている子供、あるいは虐待されそうになっている子供がいるわけで、そういうすべての子供たちを救うために何ができるのか、いろんなアプローチから取り組むべきだろうという主張なのです。

 

 

今度こそ本気で虐待防止に取り組んでほしい

 

ちなみにわたしは厳罰化に反対しているわけではありません。

厳罰化も1つの方法なのかもしれない。
でも、厳罰化だけで虐待の問題が解決するということは絶対にないと思うんです。

 

すべて親が悪い、何もかも親の責任、という風潮はなんだかとてもつらいです。

完璧な親であることを求められ、助けてほしいと弱音を吐くことも許されない環境では、虐待は減るどころか巧妙に隠されて見えなくなるだけではないでしょうか。

 

親が追い詰められず大らかな気持ちで子育てできるよう社会で支援していく仕組み、そして現にひどい虐待を受けている子供は親が抵抗しようともすばやく保護する仕組み、それでも防げない非常に悪質なケースは厳罰化…というように、いろんな角度から虐待防止への取り組みが進めばいいなというのがわたしの考えです。

 

虐待の事件が起きるたびに、なぜ防げなかったのかという議論が起こり、児童相談所の人員が…予算が…権限が…とあれこれできない理由があげられ、それが改善されたのかどうかよくわからないうちに(わたしも含めて)世間が関心を失い、また悲しい虐待の事件が起きる。

そしてまた同じような理由があげられ、まだ改善されてなかったのかと絶望的な気持ちになる…

 

この繰り返しから脱却するためには、わたしたちが虐待防止について強い関心を持ち続けることが大切なんだろうと思います。

 

 

今回の痛ましい事件を教訓に、関係機関が今度こそ本気で虐待防止に向けた取組みを強化してくれることを願います。